6月、コペンハーゲン、ベルリン、パリ、ウィーン、イスタンブールのヨーロッパ5都市を巡る2週間の旅行に行ってきました。
コロナ禍でしばらく海外に行けなかったので、現地で美味しいものを食べたり、美術館巡りをしたり、現地の風土や雰囲気を感じたり、異国での体験を楽しみにしていました。
それらと同じぐらい楽しみにしていたのは、愛用のフィルムカメラ「Leica M3」でヨーロッパの街並みを撮影すること。
気合いを入れて結構前から準備をしてきたので、レンズは「エルマー 50mm F3.5」、「エルマー 90mm F4」、「キヤノン セレナー 35mm F2.8L」の3本を、フィルムは20本以上持っていきました。
トラブルもありましたが、無事に現像が終わったので、旅の思い出を振り返ってみたいと思います。
前回のコペンハーゲン編に続いて、第二弾の今回は「ベルリン」編。
▼コペンハーゲン編はこちら
新旧が融合し洗練された街並み
ショップや飲食店が多く賑やかな雰囲気のミッテ区のハッケシャー・マルクト駅周辺。
写真の奥に見えるのは、旧東ベルリン側に建つ「ベルリンテレビ塔」。
戦後50年近くも社会主義体制だった東ベルリン側では、ベルリンの壁が崩壊して以降、資本主義が広がり急速に街が発展していったため、新しくて近代的な建物が多いのですが、同じ場所から別の方角を見てみると、古くていかにもヨーロッパらしい建物の街並みが広がっています。
新旧が融合し洗練された街並みがベルリンの特徴でした。
ハッケシャー・マルクト駅構内は、外観も内観も美しい。
電車もレトロなカラーリングでフォトジェニックです。
毎週土曜日は駅前の広場でマーケットをやっています。
ブランデンブルク門やベルリン国立歌劇場などがあるウンター・デン・リンデン通り。
ベルリンテレビ塔もよく見えます。
この通りにはロシア大使館があって、その目の前の広場ではウクライナ侵攻への抗議活動が行なわれていました。
ベルリンに来たら注目してもらいたいのが、信号機キャラクターの「アンぺルマン」。
旧東ドイツで生まれたキャラクターで、現在は旧西ドイツ側の信号機にも多く使われているのだとか。
公式ショップで色々なグッズが売られているのでドイツ土産によさそうでしたが、僕らは買いそびれました…。
石造りで高さが揃った建物が並ぶ様子はいかにもヨーロッパらしい街並みです。
味のあるレンガ造りの建物もたくさんありました。
乱雑に貼られたポスターすらもオシャレに見えてきます。
「do you read me?!」は、ファッションやアート系に強いベルリンの人気書店。
日本の写真家である森山大道の写真集もありました。
店内にはアジア人観光客が多く、特に韓国語を話す人が目立ちました。
散策途中に通りかかった建物で火事があったようです。
警察や消防隊の様子を観察してみると、日本に比べて女性の割合が多いなと思いました。
人気ベーカリー「SOFI」。このレンガ造りの建物は19世紀にミシン工場として建てられたそうです。
ここへは朝食時に立ち寄って、ハムとクリームチーズが挟まったシンプルなパンを食べました。
パンの固さやしっとり具合がすごく好みで、ヨーロッパ旅行中に行ったパン屋の中で3本の指に入るぐらい美味しかったです。
ハッケシャー・マルクト駅から徒歩10分ぐらいで行けるので、近くに行く予定がある人はぜひ立ち寄ってみてください。
道端に何気なく咲く花が綺麗。
街中で裸でスケボーを楽しむ若者たち。
なんとなく几帳面で生真面目なイメージがあったドイツですが、こういう自由な雰囲気はヨーロッパらしい!
ベルリンの街に多く残る戦争遺産
ベルリンの街には、第二次世界大戦、ナチス、東西ドイツ分裂に関する戦争遺産がたくさんありました。
ベルリンの壁に皮肉や風刺が効いたアートが描かれた「イーストサイドギャラリー」は、オープンギャラリーになっていて誰でも自由に観ることができます。
総勢118名のアーティストの作品が描かれている中で一番知名度が高いのは、東ドイツ首相ホーネッカーとソ連最高指導者ブレジネフがキスをしている作品。
このシーンが撮影された写真を参考にし、当時の東ドイツとソ連の親密な関係を皮肉混じりに表現したユーモラスな作品です。
先程のアートが描かれていた壁の裏側は、次の作品を描く準備のため真っ白に塗られていました。
なんとイーストサイドギャラリーでは超有名作を除いて、定期的に作品を塗り替えているそうです。
作品が消えてしまうのはもったいない気もしますが、行くたびに新しい作品に出会えるのは嬉しいですね。
イーストサイドギャラリーの遠景。
東西分裂時は殺伐とした雰囲気であっただろうこの場所も、壁崩壊から30年経った現在は、飲食店が多数出店し人が集まる賑やかな場所になりました。
ホーネッカーとブレジネフがこの景色を見たら驚くことでしょう。
ナチスの恐怖政治の歴史を伝える歴史博物館「テロのトポグラフィー」。
この場所は元々、ゲシュタポや国家保安部が置かれていたナチス政権の中枢部だったそうです。
時間の都合で博物館に入れなかったので、ベルリンの壁に展示されたナチスの歴史を見学。
ナチスがどのように台頭したのか、ユダヤ人迫害がなぜ起きたのか、この展示を通して学ぶことができました。
ポツダム広場は、ベルリンの壁崩壊以降の統一ドイツの復興と再開発における象徴的な場所。
近代的な高層ビルに囲まれた場所に、ベルリンの壁がの一部が展示されています。
この辺りを散策していたときは疲労がピークにきていたので、サクッと見学して通過してしまいました。
「チェックポイントチャーリー」は、東西ドイツ分裂時代に東ベルリンと西ベルリンの境界線上に置かれていた国境検問所跡。
シュールなフォトスポットです。
第二次世界大戦中にナチスの食糧庫として使われた頑丈な建物は、戦後、輸入バナナの保管やテクノクラブとして使われたのち、現在はボロス氏のコンテンポラリーアートのコレクションを展示したギャラリーになっています。
完全予約制のガイドツアーに参加することでギャラリーの見学ができます。
僕らも参加してきました。
展示作品の素晴らしさもさることながら、建物の構造も興味深いものでした。
敵を錯乱させるためのニセの窓があったことや、コンクリートで造られた壁や天井の厚さが1メートルもあったことに驚きました。
ナチスとっていかに重要な施設だったかがわかります。
税関門の1つとして設けられた「ブランデンブルク門」は、高さ26メートル、幅65.5メートルもある古典様式の門。
東西ドイツ分裂時代はベルリンの壁が建てられたため通行できませんでしたが、現在はベルリンのシンボルとして人気の観光地になっています。
ブランデンブルク門の近くにある「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」。
墓石のようにも、棺桶のようにも見えるグレーのブロックが規則正しく配置されていて、見る人によっていろいろな解釈ができます。
僕らは夕方に行きましたが、行く時間によっても印象が大きく変わりそうです。
ベルリンの戦争遺産のなかで1番気になったのは、ドイツ人アーティストが発案した「ストルパーシュタイン(つまずきの石)」というプロジェクト。
ナチスによって迫害されたユダヤ人の氏名や生年月日を記した真鍮プレートが、彼らが以前住んでいた家の前に埋め込まれています。
ベルリンのいたるところにあるのですが、ストルパーシュタインに記された内容をよく見てみると、一家で連行されてしまったことや、まだ幼い子供まで被害にあっていたことがわかります。
ユダヤ人迫害は、僕にとっては遠い国の大昔の出来事であり、いまいちピンときていませんでしたが、その恐ろしさを肌で感じることができました。
おわり
新旧が融合した洗練された街並み、そして多く残る戦争遺産。
3日間の滞在で少し慌ただしかったのですが、ベルリンのさまざまな面を知れることができてとてもいい時間になりました。
次回は「パリ」編をアップします。
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