ようやく手に入れた、憧れのライカ M2 初期型。
ファインダーの抜け感、巻き上げレバーの滑らかさ、布幕シャッターのやさしい音色──そのすべてが、カメラというより工芸品のよう。

戦後ライツ社の黄金期を象徴する名機と過ごした旅は、撮るたびに「写真を撮るって、こんなにも楽しいものだったか」と再確認する時間となりました。
今回は、そんな M2 とズミクロン 50mm f2 をメインに、韓国・日本を巡る秋の旅を記録します。
旅の相棒たち:使用機材について

メインはもちろん、ライカ M2 + ズミクロン 50mm f2。
これに加え、広角のズマロン 35mm f3.5、望遠の M-ロッコール 90mm f4 も持参。
フィルムは FUJIFILM 400。クラシックな発色と空気感を大切にしたい旅にぴったりでした。
秋のソウルで出会った写真の原点
10月のソウルは、日差しこそ少し強かったものの、気温は20〜25℃ほどでとても過ごしやすい陽気でした。
1ヶ月前にも訪れたばかりということもあり、今回はあちこち駆け回るのではなく、気になるアートギャラリーや美術館を巡りながら、ゆったりとした時間を楽しもうと決めていました。
汝矣島の「ハン・ヨンス展」へ

ソウルでの滞在中に訪れたのは、写真家ハン・ヨンスの回顧展。

漢江で過ごす人々の姿を記録した写真の数々は、構図の妙、余白の美しさ、被写体との距離感・・・、どれをとっても学びの宝庫でした。


販売されていたグッズはどれもセンスが良く、つい目移りしてしまうラインナップ。

悩んだ末に、ポスターとトートバッグ、そしてノートをお土産に選びました。
良い展示を観たあとの高揚感も手伝って、つい財布の紐が緩んでしまう──そんな経験、きっと誰しもあるはずです。

展示を見終えたあとは、彼が撮影した同じ漢江大橋へ。

夕暮れの光に包まれながら、ハン・ヨンスが過ごした過去と現在を重ねるようにシャッターを切ります。

うまく撮れなくても、それでもシャッターを押したくなる。
ライカの魔力とは、きっとこういうこと。

夕暮れの漢江には、穏やかで心地よい時間が流れていました。
観光地を駆け足で巡るのも楽しいけれど、カメラ片手に、ただのんびりと過ごす──そんなひとときこそ、何よりの贅沢だと感じます。
都会のオアシス、ソウルの芝生広場

ギャラリーの前に戻ると、大勢の若者たちが同じ方向へ歩いていくのが目に留まりました。
手には食べ物やピクニック道具を抱えて、まるでこれから楽しい集まりが始まるかのようです。

その流れについて行くと、漢江沿いの芝生広場で、休日を過ごす若者たちがピクニックを楽しんでいました。
まるで代々木公園や二子玉川のような、都会のリズムの中にある「ゆとり」。

次は僕たちも、キムパやアイスアメリカーノを片手にソウルっ子たちに溶け込んでみたいと思いました。
景福宮でズマロンを試す
朝鮮王朝時代に建てられた景福宮。
その周辺には、美術館やアートギャラリーが点在していて、僕たちのお気に入りのエリアです。
普段は外観だけをサラッと撮影して通り過ぎてしまうのですが、今回は時間に余裕があったので、有料エリアにも足を踏み入れてみました。

王宮の重厚な門構えや壁の迫力を記録するには、35mmのズマロンが活躍。


このレンズ、値段こそ手頃ですが、描写はズミクロンに劣らず見応えがあります。

それでも、やはり手に馴染むのは50mmのズミクロン。
結局この旅でも9割以上は50mmで撮っていました。(残念ながらM-ロッコール 90mm f4 は出番なし)

M2を選んだ理由のひとつがこの“50と35がストレスなく使える”ファインダー構成にあります。
ライカM2のファインダー枠は、35mm、50mm、90mmの3種類が単独で表示されます。
視野がすっきりしていて、被写体に集中できるのが大きな魅力。

M3のファインダー枠は50mm、90mm、135mmの3種類のため、35mmレンズを使いたい場合は、外付けファインダーか、メガネ付きレンズが必要になります。
一方、M4は35mm、50mm、90mm、135mmの4種類の枠が表示されますが、35mmレンズ装着時に135mm枠まで見えてしまうため、少しごちゃつく印象です。
35mmと50mm、どちらも気持ちよく使いたい人にとって、M2は最適な選択だと言えるでしょう。

ちなみに、M型フィルムライカは、レンズキャップを外したまま放置するとフィルムが感光してしまいます。
レンズ交換時にも注意が必要で、強い光がカメラ内部に入るとフィルムがダメになってしまうのです。
上の写真はその例で、レンズ交換時に強い光が入り、フィルム右端が感光してしまいました。
レンズ交換をする際は、必ず室内か日陰で。
さらに、撮影していない時はレンズキャップをするか、最小絞りにして光の侵入を最小限に抑えることが大切です。

S型ニコンやキヤノンのレンジファインダー機でも同様のことが起きるかは不明ですが、少なくともM型ライカは繊細なカメラだということは間違いありません。
扱いに細心の注意が必要だけれど、それでも「使いたい」と思わせる魅力があるのがライカのすごいところ。

旅の序盤は、ライカ M2の扱いに慣れず、丁寧に使おうとするあまりシャッターチャンスを逃すこともありました。
それでも終盤には、手に馴染み、徐々に速写性も上がっていきました。

僕のライカ M2は、初期型でセルフタイマー付きのモデル。
じつはこの仕様にこだわって選んだのですが、旅先での記念撮影では大活躍してくれました。
やっぱり、旅好きにとってセルフタイマーは必須の機能ですね。
日本へ帰国
福岡の半日散策
ソウルから福岡へ。
滞在時間はわずか12時間でしたが、ラーメン、コーヒー、街歩きとコンパクトに満喫。
天神中央公園近くの「COFFEE COUNTY」は、今まで飲んだコーヒーの中でもトップクラスの美味しさでした。

旅も終盤に差し掛かり、改めてライカM2、そしてライカという存在について考えました。
これまでもM3やM5を所有してきたなかで、「ライカは良いカメラだ」と直感的に感じてはいましたが、今回の旅を通じてはっきりと確信しました。

ライカは、使う人を心から喜ばせてくれる道具だということを。
操作性と見た目の美しさが、とにかく抜群なんです。
巻き上げレバーは絶妙な力加減でなめらかに動き、絞りリングは小気味いいクリック感が心地よく、シャッターボタンは柔らかく優しい感触。

そこに重なる、控えめで優しいシャッター音。
人間の聴覚、触覚、視覚すべてを心地よく刺激しながら、「もっと写真を撮りたい」という気持ちを自然に引き出してくれる——。
ライカは、そんな愛すべきカメラなのです。
熊本の自然とライカ M2 の調和
福岡から新幹線に乗って、熊本へ。
今回はあまり時間が取れず、滞在できたのはわずか4時間ほど。
それでも、心惹かれる風景にはしっかりとシャッターを切りました。

トトロのような形の山や、青々とした茶畑の風景は、50mmの画角にぴったり。

一面に広がる茶畑や田んぼ、のどかな景色がとても印象的で、どこか時間がゆっくり流れているような感覚に。

10月だというのに、九州はまだまだ暑さが残っていて、植物たちも青々と元気な姿を見せていました。
山口
熊本の次は山口へ。
法事があったため、ここでは2泊の滞在となりました。

山口県では、赤茶色の屋根瓦をよく見かけます。
これは「石州瓦」と呼ばれるもので、山口県西部で採れる粘土と、島根県出雲地方の来待石から作られた釉薬を使い、1200度以上の高温で焼き上げることで、この独特の赤みを帯びた色になるそうです。

そんな地域にある、とある公園。
草が生い茂り、今にも自然に還ってしまいそうな雰囲気でした。
少子化の影響なのか、子どもたちの姿は見当たらず、遊具もどこか寂しげ。

近くにはモダンな壁がありましたが、建物はどうやら取り壊されてしまったようでした。
田舎の風景の中で、その人工的な壁面だけがぽつんと取り残されていました。

日本に戻ってからは、ズミクロンでの撮影が続きましたが、やはりどの写真を見ても素晴らしい写り。
写りの良さもさることながら、ライカ M2 との相性も抜群です。

ぼくの M2 は1958年製、そしてズミクロンは1960年製。
時代をともにした組み合わせだけあって、スタイリングも文句なし。
オールドレンズとは思えないほどの解像力で、ピント面は開放からしっかりとシャープ。
光の条件次第では、現代レンズにも劣らないほどの描写力を見せてくれます。
機材メモ:ケースとバッグ

旅には携帯性も重要。
ライカ純正のレザーケースは風格がありますが、ズミクロンとの相性がいまひとつで、取り出しに手間取ることがしばしばありました。

そんな体験もあって、旅から帰ってすぐに購入したのが、モンベルの「ライト フォトショルダーバッグ S」。
間口が広くてカメラの出し入れがしやすく、重さもたったの185gととても軽量。
気軽に持ち歩けて、見た目もシンプルで使いやすい。
これは良い買い物でした。
詳しくは、下記の記事でも紹介しているので、気になる方はぜひご覧ください!

旅の終わりに:ライカ M2 とこれからも

1週間の旅で撮影したフィルムは10本。
手間もかかるし、気も使うけれど、それでも使いたいと思わせる──それがライカ M2 の魅力です。
1958年製のこのカメラと、1960年製のズミクロン。
時代を超えて、今の旅にも自然と馴染むコンビ。
これからも、旅と日常にこの2つを連れていこうと思います。
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